「傾聴」を学んでも、家庭内で機能しにくいのはなぜか?
長岡市のフリースクール&学習塾・親子塾えすてぃむでは、親御さんがコーチングスキルを学ぶことができます。
えすてぃむでは、不定期ではありますが、「ティータイム交流会」という親御さん同士が対話をする場も設けているんですね。
そこで初めて参加する親御さんは、その雰囲気にとても驚くと同時に心地よい気持ちになるようです。
「こんなに他のお母さんから話を聴いてもらえたのって、はじめてです。みなさんが『聴き方』とかを学んでいるからでしょうか?」
と、初めて参加したお母さん。
すると、他のお母さんは、このように返していました。
「いえ、家だとこどもとかだんなには全然できてないんですよ〜。外だからできる、っていうのはありますよね^^」
この言葉は、他のお母さんも「うんうん」という感じでしたね。
『傾聴はスキルではない。在り方だ』
これはコーチングの講座ではよく聞かれる言葉です。
では、「在り方」とはいったいなんでしょうか?
「在り方」はしっくりくる日本語を見つけるのが難しい言葉です。
「心の持ち方」
「頭に常に置いておく言葉」
などと言い換えることができるかもしれません。
親子塾えすてぃむで伝えている「傾聴」の在り方は1つだけです。
「目の前の人が話す背景に”好奇心”をもつこと」
好奇心。
「この人の言葉は、何から生まれたのかな」
「どんな1日を過ごしたのかな」
「何がこの人をそんな気持ちにさせたのかな」
良い意味での好奇心です。
先ほどのお母さんの話になりますが、家庭内で好奇心が持ちにくいのは、やはり「一緒にいるから、その人のことがわかる(と勘違いしてしまう)ことが多い」のがありますよね ^^;
家族ではない他の人にこそ「傾聴」が上手にできるのは、そんな背景があるとぼくは思っています。
もちろん、家族に「傾聴」ができないわけではないですよ。
家庭内で「傾聴」がしたいから、学びにくるわけですから。
ただ、疲れているときや、やるべきことが多いときには、「傾聴がしにくい」ということだと思います。
当然ですよね。
自分の心にスペース(ゆとり)がないときには、人の話なんて聴けません。
最後に、今週来たこども塾生の言葉を。
「お母さん(塾生です)がえすてぃむから帰ってくると、なんか優しくなるんだよねー」
「傾聴」の在り方は循環しますよね。
家ではぼくは妻から
「私が話してても、イスに座って何もせずにダラダラ聞いているだけじゃん!」
と叱られることがあるのはナイショです^^;