『“わがまま”と“主体性”の決定的なちがい』
お母さんと個別セッションをしていると、頻繁に“主体性”の話になります。
「20歳になるころには、自分のことは自分でできて、目標に向かって生き生きと過ごしていてほしいって思うんです」
「お子さんは、小学5年生でしたよね。いまはそうじゃないんですか?」
「なんていうか、、、息子の行動が、“わがまま”なのか、“主体性がある”のかが、よくわからなくて、、、」
「お母さんの中では、“わがまま”と“主体性”のちがいって、何だと思っていらっしゃいますか?」
「えっ、、、そうですね、、、たとえば、『テレビゲームをもっとたくさんしたい!』とか、『新しいゲーム買って!』は“わがまま”だと思うんです。でも、『バスケがもっとうまくなりたいから、練習する』とかは“主体性がある”かな、、、? あれっ、よくわからなくなってきました、、、」
言葉の意味付け(定義)って、おもしろいですよね。
それぞれの人で意味付けが大きく違ってくると、コミュニケーションがうまくいかないことが出てきてしまいます。
“わがまま”と“主体性”も、いろんなとらえ方ができる言葉ですよね。
これはあくまでも参考例ですが、親子塾えすてぃむでは、“わがまま”と“主体性”は明確に区別をしています。
“わがまま”とは、他の人を動かそうとすること。
“主体性”とは、自分がまず動くこと。
つまり、その子の「言動」や「行動」が、他のだれかを動かそう、動いてもらおうとする意図があるものは、“わがまま”です。
対して、“主体性がある”は、自分で決めたことを、自分でやること、です。
もちろん、どちらが良い悪いはありません。
生きていると、どちらの言葉も大切な瞬間があるからです。
でも、“わがまま”と“主体性”の「境界線」を知っておく(自分で定める)ことによって、子どもに接するときに「自分の軸」ができます。
(自分が動かずに)他人を動かそうとするのが“わがまま”。
(他人を動かそうとする前に)自分を動かそうとするのが“主体性”。
あくまでも、これは親子塾えすてぃむにおける言葉の意味付け(塾長の軸)です。
そして、この“わがまま”と“主体性”は、ぼくたち「親」にもそのまま当てはまると思っています。
自分が実践してないのに、子どもを動かそうとしたり、期待をかけるのは、“わがまま”。
子どもではなく、まずは自分が動いたり・学んだりするのが、“主体性”。
このような言葉の意味付けについての対話も、親御さんとじっくりしていきたいと思っています。
ちなみに、“主体性”は英語では「independence:独立」だそうです。
おもしろいですね〜!