「主体性」が育まれると、なぜ「学ぶこと」が楽しくなってくるのか①
ぼく自身を振り返ってみると、小学・中学時代は「教科学習」にほとんど興味が持てませんでした。
”ほとんど”というのは、たとえば「理科の実験」とか「社会の戦国時代」とか、部分的には楽しい箇所があったからです。
教科の内容に興味が持てない、ということは「授業」もそのまま「受け身」になります。
小学・中学の9年間を通して、その「受け身」が体に染み込んでいくのは当然のことですよね。
転機がおとずれるのは、高校時代。
初めて「自分の進む道を、自分で選ぶタイミング」がきます。
「受け身」が染み付いていたぼくは途方に暮れます。
「やりたいことが見つからない・・・」と。
いま思い返してみると、じつはこの瞬間こそが「主体性」のはじまりでした。
やりたいことが見つからないからこそ、自問自答が起こる。
ぼくは何がしたいんだろう?と。
その答えは誰も与えてくれることはありません。
仮に誰かがモチベーショントークをして、一時的に「やる気」が生まれても、それはかりそめ。ファンタジーです。
あくまでもぼくの事例ですが、もがきながら、友人にも頼らず、孤独の中で、じっくり考えた時間こそが、のちのち「主体性」につながっていきました。
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ぼくは現在、仕事で、あの頃のぼくと同じように、自分の人生を「受け身」から「主体」へと変えようとしている子たちと一緒に過ごしています。
その子本人は、たくさん悩みます。
学校という社会の接点をなくしている子は、より多くの不安があることも想像できますよね。
でも、そうやって悩みながらも、前に進もう、自分の人生を自分で選んでいこう、とする姿が、ぼくはとてもかっこよく見えているんです。
これは「親」ではない「第三者」の視点なので、無責任な感想ではあるでしょう。
でも、その無責任の視点の中でも、出会った子との対話には心をこめます。
その子自身が、「自分の力」で歩んでいく日が近いことを知っているからです。
そして、「自分の力(主体性)」が育まれていくと、「学ぶこと」への捉え方が少しずつ(もしくは劇的に)変わっていきます。
そのことを、明日は書きたいと思います。
