「主体性」が育まれると、なぜ「学ぶこと」が楽しくなってくるのか②
人生において、自分のことを「モブキャラだ」とか「サポーター役だ」と考えることがあっても、それはもちろんその人の自由だと思います。
でも、そのことを踏まえた上でも、やはり断言します。
人生の主人公は、自分自身だよ、と。
自分の頭で考えたことを「体を動かして実行できる」のは自分だけです。
人に頼ればいい。
今はAIがあるから大丈夫。
いいえ、違います。
人に頼るとき、「自分の声で頼む」はずです。
「自分の指でスマホの画面を打つ」はずです。
誰かに「自分の表情で何かを訴える」はずなんです。
全ての始まりは、自分自身からスタートします。
・・・と、少し難しいふうに書いてしまいましたが、「自分で考えたことを実現するには、自分が初めの一歩を踏み出すのが一番速い」ということですよね。
もちろん「自分の思考」は環境や誰かの影響を受けるでしょう。
でも、影響を受けた後に「実行」するのも自分。
そのことに気づくと、「主体性」が本当はとてもシンプルなのがわかります。
「自分の心から湧き上がってきた『やりたい』を、『やる』に変える力のこと」
実際に行動に移してみると、そこにはまた新しい景色が必ず見えます。
失敗したり、挫折することもあります。
でも、「経験」は必ず残る。
「主体性」の正体はそんなところにあると、ぼくは思っています。
そして、「主体性」を持って行動すると、自分に足りないものもまた見えてきます。
たとえば、ぼくは23歳のときに、プロのスクーバダイバーになりたい、という気持ちが芽生えました。
(きっかけは長くなるので今回は書きません)
最初に初級ライセンスを取るところまでは、勢いでよくがんばって行動したと思います。
ところが、そのあと、プロまでの道を歩んでいくのに、基礎スキル(体力・資金・知識)が全く足りないことに愕然としました。
23歳当時は「プロのスクーバダイバーになる」という想いだけがありましたが、具体的な戦略があるわけでもなく、初心者もいいところなので空回りも多くなりました。
でも、もがきながら、お金をためて、少ないお金でも学んで(ヤフーオークションで安い教材や機材を買う、など)いきました。
当時は、頭も体もへとへとになるまで使って大変でしたが、目標に向かって着実に進んでいる実感はなんとも得難いものだったと思います。
ちなみに、社会人としてフルタイム(12時間労働)で働きながら、仕事の合間にその時間を作っていた感じです。
そして、しだいにぼくはオーストラリアのグレートバリアリーフ(世界最大の珊瑚礁地域)でダイバーになる、という目標ができたんです。
そこで、「英語」を使えるようにするための、「行動」が必要となりました。
中学・高校と英語が大嫌いだったぼくが、自ら英語を学ぶと決めたのが23歳のとき。
やらされるのではなく、「自分が必要だと心から思った」から、やる。
いま振り返ってみると、これが「主体性」からくる「学び」だったのだと思っています。
そのときの「学び」は、中学・高校時代の学びとは全く性質が異なるものでした。
「受け身」ではなく、「掴みにいく」勉強です。
獣のように貪欲な感じは、ぼくにとって、初めての経験でした。
この23〜24歳のときの経験は、今の仕事にも明らかに生きています。
「主体性」が育まれていくと、「学ぶこと」への捉え方が変わりました。
ぼくはこのことを、直接こどもたちに話すことはありません。
学生時代のことを聞かれたら、そのときは包み隠さず話していますが。
教室に来ると、「主体性」の空気感は確かに存在します。
歴代の塾生が「確かにいた」ことと、今も社会で「主体的に生きている」ことがその証明となっています。
「自分で決めたことを、まず一歩だけやってみよう。誰に批判されても(たとえ親でも)、ぼくは応援する。やってみてからまた一緒に悩もう」
この言葉の背景には、そんなぼくの人生観があります。
